■終い弘法と終い天神

●終い弘法
  弘法大師は承知2年(835)高野山で入定(にゅうじょう)しました。その命日にちなみ、毎月21日、京都市南区にある東寺の境内では「弘法市」が大々的に開かれます。弘法市には観光客も多く、楽しいフリーマーケットとなります。その年内最後の祭典が「終い弘法」と呼ばれ、この1年間の無病息災を感謝して年間で最もにぎやかな弘法市が開かれます。地元の参詣者や観光客で賑わう「終い弘法」では骨董品や古着のほか、葉ボタンや梅、千両の苗、干しガキ、翌年のえとの置物など、迎春用の品を売る店がずらりと並びます。
  ところで、一般に神社の祭日や寺院の縁日の市は古い起源もっていますが、「弘法市」の縁日がいつ頃始まったかについてのはっきりとした記録は残っていません。ただ、天狗草紙絵巻の中に、東寺南大門で物を売る商人の図が見受けられたり、東寺百合文書には、応永10年(1403)、足利義満の時代に南大門に一服一銭の茶店があったことが記されています。これによって鎌倉中期から室町時代にかけて、境内の特定の地域で商行為が行なわれていたことがわかります。

●終い天神
  御祭神菅原道真公の誕生日6月25日、薨去の2月25日に因み毎月25日は、天神さまの御縁日として、終日境内周辺に露店が所狭しと立ち並び、参拝者の人波が絶えません。特に12月25日は、京都の一年の行事を締めくくる恒例神事として北野天満宮の終い天神(1月25日は初天神)へ、毎年京阪神はもとより全国からの多数の参拝者が訪れます。正月の祝箸やお屠蘇等が授与され、正月用の葉牡丹、荒巻鮭の露店や植木市も立ち、人出もふだんの倍となります。


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